CASESTUDY 我々の事業は
何であるべきか。
復興応援プロジェクト

PROJECT OUTLINE
2011年3月、東日本大震災を機にスタートしたのが「復興応援プロジェクト」。
被災地域の特産品を販促品としてお客様に提案。
また、「復興支援住宅エコポイント」の交換事業者となり、東北の商材を全国に届けた。

今、私たちができることを。

2011年3月。東日本大震災の被災地に対する支援の輪が日本中に広がっていた。その時、内海産業が考えたのは「支援」でなく「応援」することだった。「今、私たちができること」をキーワードに、東北地方のビジネスを盛り上げようと、東北地方の産品を、お客様に販促物として使ってもらう取り組みを始めた。中心メンバーの一人であった酒井は言う。

「真っ先に思い浮かんだのは、カタログにたくさんの東北の産品を掲載することでした。ところが、3月は、私たちのカタログの最新版が出たばかり。次のカタログまで待っていたら7月になってしまう。こういうときには、スピードが重要です。そこで、カタログ外で情報を発信することにしたんです。」

カタログとは別に、東北地方の産品だけを集めた見開きのチラシを作り、「復興応援プロジェクト」として、お客様向けに発行したのだ。プロジェクトチームは毎週のようにミーティングを重ねた。東北のメーカーを次々に当たり、掲載の許可を得た。その結果、ラーメン・牛タンなどの食品から「起き上がり小法師」「あかべこ」などの民芸品まで、数多くの商品を紹介し、多くのお客様の販促物となり、好評をいただいた。
また、同時に被災地への寄付金付き商品の取り扱いもスタート。エコロジー関連商品を中心に豊富な品揃えが人気となる。さらに、多くの来場者が集まる大手電器メーカーの合同展示会では岩手県産品の即売会も企画、実施し、当日は盛況となった。

プロジェクトメンバー

お客様の「期待」の先にあるもの。

復興応援は、営業活動においても強く意識されることになった。

「もともと、お客様のいろいろな販促品のニーズにお応えをしてきたのが内海産業でした。震災の復興応援についても、何かできないか、復興支援に東北の商品が使えないか、というご相談をたくさんお受けすることになったんです。これまで、どんなご要望にも応えてきた内海産業ならできるんじゃないか、と思っていただけたようです。」

幅広い提案活動の結果、超大型の案件が決まる。大手金融機関の株主優待の案件相談。東北の名産品として、さまざまな商品がピックアップされたが、何より重要なことはしっかりニーズに適うものであること。生産能力、納期、品質、価格、企業イメージなど、トータルに判断し、内海産業は「会津塗の漆器」を提案。これが、見事に採用された。総量として、10万個を超えるスケールの受注。納期は一年を要した。

担当営業が、お客様とともに工場に視察に行った時のこと。震災で職を失ったものの地元には再就職の場がなく、その工場で働いている、という人に出会った。その時、仕事を生み出すという経済活性化の一端を担うことができたことをうれしく思ったと同時に、自分たちの仕事の意義を再認識することができた。

我々が存続する理由

震災の翌年、政府による復興支援として話題になった「復興支援・住宅エコポイント」。たまったエコポイントは、さまざまな商品に交換することができたが、内海産業は、その交換事業者になり、東北の商材を全国に届ける公的な取り組みにも参加した。復興支援・住宅エコポイントは、もちろん東北の応援になる仕組みだったが、交換できる商品がホームページ上でしか見られず、ポイント交換の方法がわかりにくい、といった声も上がっていた。

そこで内海産業は、自ら手配した東北の商材を掲載したポイント交換商品カタログを10万部制作。これを無償で住宅・不動産業界のお客様に配布し、販売の現場で制度の説明をしやすくするとともに、住宅を建てた人たちには商品を「選ぶ楽しみ」を提供するようにした。それだけではなく、ポイント交換について、直接、電話で問い合わせできる窓口を社内に設置。実際、エンドユーザーからの、ポイント交換の方法などの問い合わせ対応を担った。交換事業者にそこまでの義務はない。にもかかわらず取り組みを進めたのは、住宅・不動産事業を営むお客様の役に立ちたいという思いと「復興支援・住宅エコポイント事業」の成果に貢献したい、という思いだった。

結果的に「復興応援プロジェクト」の売り上げは数億円もの規模となった。それだけ東北経済にお金の流れをつくることができた。社長の長野は言う。

「この活動はあくまでビジネスであり、社会貢献活動ではありません。我々がやらなくても誰かがやるし、現に同じような事をやっていたところもあります。ただし、常に社会のテーマに真摯に向き合い、社会が必要とする役割の一端を積極的に担う姿勢は、我々の事業が存続する事を社会に認めてもらう理由の一つになるのではないかと思っています。」